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徒然なる日常に萌えを見出す日々
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唐突ですが、山本に彼女が出来るのはそんなに嫌じゃないのに、獄寺に彼女っていうのが何か違和感あると、常々思っとります。嫌、っていうんじゃなくて、違和感。

なんていうか、獄寺は、10代目(敬愛)、山本やランボ、ハルとか(友情)、ビアンキやシャマル(家族)に対する『好き』を使い分けられないような気がする。それどころか「国語と数学だったら数学の方が好き」とか「白よりも赤が好き」みたいな『好き』でさえ、全部同じ『好き』で括ってしまって、その中で「10代目が一番に決まってる!」とか言いそう。
つまり、私の考える獄寺の中では『好き』はひとつしかなくて、それのほとんどをツナに向けてしまってるから、恋愛とか考え付かないんだと思う。たとえ恋愛関係に持ち込めだとしても「獄寺くんっていつもダメツナの話ばっかり!」って振られそう。よく言えば一途なんだけど…

山本はその逆で、ちゃんと『好き』の中でも「好きな食べ物」「好きな芸能人」「好きな科目」みたいに、友達や家族、恋愛対象とかのカテゴリー分けがあって、それぞれの『好き』の使い分けが出来てると思ってます。
山本が、クラスメイトと普通に『可愛い女子ランキング』とか作っててもいいし、獄寺のこと放ったらかして部活仲間と合コンに行くこともあると思う。でもやっぱり、獄寺に対する気持ちはその『友情』とか『恋愛』とかの『好き』を飛び越えたところにある特別な『好き』だといいな…(腐女子は夢見がちでナンボです)

常に10代目至上主義の獄寺には、家族を優先する時とか部活等の行事を優先する時もある山本の『好き』の程度が理解できなくて、「あいつは好きなものが多すぎる…!」とか苦々しく思ってると萌える。で、山本は「こんな獄寺に付き合いきれるのはオレしかいないのなー」と思ってる。
山本はね、自分にとって獄寺が特別なように、獄寺にとっての自分も特別に違いないって自惚れてんの。それだったら、獄寺というものがありながら「あの2人付き合ってんじゃねーの?」と思われる程度に女子マネ等の身近な女といちゃついたりしてても、私は許す(笑)
まあ理想は山獄で獄山(どっちの立場でもお互いの存在しか見てない状態)なんですけど、そのへんは誘惑の多い年頃だし、2人とも男の子なんでね。
よく言われる『受はダメだけど、攻に彼女が出来るのはアリ』の法則(?)っていうのとは、ちょっと違うんだよなぁ。別に獄寺に彼女できてもいいと思う。ただ上記の理由で、うまくいくわけないだろー(笑)とは思ってます。

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